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村上義光は、後醍醐天皇の皇子護良親王の側近。 1333年(元弘3年)初め、吉野を仮の本拠として鎌倉幕府打倒の挙兵をした護良親王だったが、閏2月1日、鎌倉幕府が編成した二階堂道蘊率いる6万の軍勢に攻められて落城。 伝説によると・・・ このとき、護良親王は7本の矢を受けてしまい自害しようとしたが、すでに重傷を負っていた村上義光は、親王の甲冑を身に着け、身代わりとなって金峯山寺の二天門に上って自害し、親王を吉野山から脱出させたのだと伝えられている。 自害した義光の遺体は、幕府軍による検分で護良親王でないことがわかると討ち捨てられていたが、哀れに思った里人がこの場所に葬ったのだという。 |
護良親王の身代わりとなって自刃した村上義光 |
墓の横にある忠烈碑は、1783年(天明3年)に大和高取藩士内藤景文が建てたもの。 ★ロープウェイ吉野山駅下車徒歩10分 |
四本桜 (金峯山寺) |
二天門跡 (金峯山寺) |
金峯山寺の蔵王堂前の四本桜は、護良親王が酒宴を催したという場所。 義光が自害したという二天門跡には「村上義光公忠死之所」の石柱が建てられている。 |
金峯山寺から村上義光墓へ向かう途中に架けられている橋。 大橋の下は防御のためにつくられた堀。 この辺りは「攻めが辻」と呼ばれ、幕府軍との激戦が繰り広げられた場所。 |
鎌倉幕府滅亡後、護良親王は足利尊氏と対立して鎌倉の東光寺幽閉され、のちに暗殺されてしまう。 鎌倉宮は、明治天皇が護良親王を祀るために創建した神社。 鎌倉宮には、護良親王の身代わりとなって最期を遂げた村上義光を祀る村上社がある。 |
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