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大橋の下は敵の侵入を防ぐためにつくられた堀。 1333年(元弘3年)、吉野山で討幕の挙兵をした護良親王は3千の兵で、鎌倉幕府が編成した二階堂道蘊率いる6万と戦った。 大橋付近で激闘が繰り広げられ、今でも攻めが辻とも呼ばれている。 護良親王軍は、幕府の大軍を相手に1週間も持ちこたえたが落城。 このとき、護良親王の身代わりとなって自害したのが村上義光。 大橋の先には村上義光の宝篋印塔が建てられている。 |
二天門跡 (金峯山寺) |
村上義光の墓 |
護良親王の側近だった村上義光は、落城の折、親王の身代わりとなって金峯山寺の二天門で自害したのだと伝えられている。 |
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