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住吉神社の創建年は不明だが、『吾妻鏡』に栗浜大明神の名で登場する古社。 三浦水軍の船霊として信仰され、1180年(治承4年)の衣笠合戦では、衣笠城を脱出した三浦義澄が祈願し、安房へ向けて出航したのだという。 『吾妻鏡』によると、1182年(寿永元年)8月13日、源頼朝は、嫡男の頼家誕生で御家人から献上された馬を栗浜大明神に奉納している。 1185年(元暦2年)正月21日には、祈願のため北条政子を伴なって参詣。 この年の3月、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼすが、平家との戦いが海戦となることを予測しての祈願だったとも・・・。 1195年(建久6年)には、頼家が佐原義連・比企能員らを引き連れて参詣している。 |
中筒男命 (なかつつのおのみこと) 金山彦命 (かなやまひこのみこと) 表筒男命 (うわつつのおのみこと) 天照皇大神 (あまてらすすめおおみかみ) 素戔嗚命 (すさのおのみこと) |
1180年(治承4年)8月17日、伊豆国で源頼朝が挙兵。 しかし、8月24日、石橋山で大敗して土肥山中に逃れた。 石橋山の戦いに間に合わなかった三浦一族は、衣笠城に引き上げるが、畠山重忠らの平家軍に包囲されてしまう。 総帥の三浦義明は、義澄らを脱出させ、頼朝の許へ向かわせたのだという(衣笠合戦)。 8月28日、頼朝は真鶴から安房を目指して出航。 翌日、安房国平北群猟島(現在の鋸南町竜島)に上陸している。 |
住吉神社の隣は東京湾フェリーの久里浜港乗り場。 三浦義澄をはじめとする三浦一族は、東京湾フェリーとほぼ同じルートで安房に渡った。 『吾妻鏡』によると、義澄らが出航したのは、頼朝が真鶴を出航する前日の8月27日。 同日、土肥郷から出航していた北条時政・北条義時・岡崎義実らと海上で出会い、頼朝の安房国上陸を出迎えたのだという。 |
横須賀市久里浜8−29−1 京急久里浜駅からバス 「久里浜港」下車 |
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