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鎌形八幡神社は、延暦年間に坂上田村麻呂が宇佐神宮の神霊を迎えて祀ったのが始まりと伝えられる社。 源氏の氏神として、源頼義・源義家が東征の際に祈願し、大蔵館の源義賢や大蔵の地で生まれたという木曽義仲・その子義高が信仰。 源頼朝や北条政子も信仰し神殿を寄進しているのだという。 主祭神は、 誉田別尊 (ホムダワケノミコト) 比売大神 (ヒメノオオカミ) 神功皇后 (ジングウコウゴウ) 鎌形という名は、鎌倉の鶴岡八幡宮に社殿が似ているからという説がある。 |
木曽義仲は、大蔵館で誕生し、大蔵合戦で父の義賢が討たれた後、畠山重能(畠山重忠の父)・斎藤実盛らの計らいで信濃国木曽へ逃れ、乳母夫の中原兼遠のもとで育てられた。 |
源義賢の墓 (嵐山町) |
義仲館 (長野県木曽町) |
鎌形八幡神社の境内では、産湯に使われたという清水が今も湧き出している。 |
鎌形八幡神社には、阿弥陀如来像が鋳られた懸仏(安元2年銘)と薬師如来像が鋳られた懸仏(貞和4年銘)が伝えられ、安元2年銘のものには「奉納八幡宮宝前
安元二年丙申天八月之吉 清水冠者源義高」と刻まれているという。 源義高は義仲の嫡子。 ただ、義高は安元2年には生まれていない・・・ |
1184年(寿永3年)4月26日、源頼朝の命により入間河原で殺害された義高。 鎌倉を逃れた義高は、鎌形に向かっていたことが義高を祀る清水八幡宮の石祠に刻まれているらしい。 また、祖父義賢ゆかり大蔵、父義仲を救った畠山重能ゆかりの菅谷方面を目指していたのだという説も。 |
鎌形八幡神社の本殿は拝殿に覆われている。 御神体は僧形八幡。 |
埼玉県比企郡嵐山町鎌形1993 東武東上線武蔵嵐山駅から徒歩20分 |
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