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浄光明寺の近くにあったとされる新清水寺(しんせいすいじ)は、京都の清水観音に帰依していた北条政子が創建したと伝えられている(源頼朝とも・・・)。 本尊は、鉄造聖観音像。 1258年(正嘉2年)1月17日、甘縄の安達泰盛の館からの出火がもとで焼失したといわれている。 『吾妻鏡』によれば、安達泰盛の甘縄邸から出た火は、南風にあおられて薬師堂の後山を越え、壽福寺の総門・仏殿・庫裏・方丈を焼き、新清水寺、窟堂、その辺の民屋、鶴岡八幡宮の宝蔵、別当坊なども焼失させた。 |
江戸時代に新清水寺の聖観音の頭(鉄観音)が「鉄ノ井」から掘り出され、井戸の前にあった鉄観音堂に安置されていたという。 明治の神仏分離令により鉄観音堂は廃されるが、鉄観音像は東京人形町の大観音寺の本尊として信仰されている。 |
新清水寺が焼け落ちたとき、突如強い光が発せられ、巽の方角に飛び去っていった。 翌日、村人が火災の跡片づけをすると焼けた観音様の胴体はあったが首がみつからなかった。 人々はあの光が観音様だったと噂した。 数年が経ち、雪ノ下の井戸が、目を洗えば治り、常用すれば風邪をひかず、胃腸病や傷も治るという評判になった。 そのうち、観音様のお首が井戸の中にあるに違いないという話になり、井戸替えのときに井の底を掘ると観音様のお首が現れた。 お首は観音堂に安置され、井戸は「鉄ノ井」と呼ばれるようになり、参詣者が絶えなかったという。 |
大観音寺は、1876年(明治9年)に鉄観音像を安置した堂をその始まりとしている。 |
東京都中央区日本橋人形町1-18-9 人形町駅からすぐ。 |
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