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東叡山の貫主と日光山の門主だった輪王寺宮が居住していた旧本坊の表門。 寛永年間(1624-43)の建立。 幕末の戦火を免れた建物で国の重要文化財。 1878年(明治11年)に開館した帝室博物館(現東京国立博物館)の正門として使用されていたが、関東大震災後、博物館本館の建設の際に現在地に移築され、輪王殿の正門となった。 |
輪王殿は、寛永寺の檀信徒会館。 |
寛永寺の初代貫主は天海、二代は公海だが、三代以降は法親王が就任した。 二代公海の後に貫主となったのは、後水尾天皇第三皇子の守澄法親王。 1654年(承応3年)、寛永寺の貫主となった法親王は、日光山の門主を兼ね、翌年には比叡山延暦寺の貫主(天台座主)も兼ねている。 以後、幕末の十五世公現入道親王(北白川宮能久親王)まで、皇子または天皇の猶子が寛永寺の貫主を務めた。 貫主は「輪王寺宮」と尊称され、水戸・尾張・紀州の徳川御三家と並ぶ格式だったのだという。 歴代の輪王寺宮は、原則として、東叡山・日光山・比叡山の三山を管掌することから「三山管領宮」とも呼ばれていた。 |
明治新政府の軍人として活躍した小松宮彰仁親王は、最後の輪王寺宮・公現法親王(のち還俗して北白川宮能久親王)の兄。 |
輪王殿と開山堂(両大師)の間にある門。 谷中にあった幸田露伴旧宅の門を移築したもの。 『五重塔』の主人公は、根本中堂を手掛けた大工の棟梁がモデルなのだとか。 |
旧本坊表門は黒門とも呼ばれるが、上野戦争で彰義隊が戦ったという黒門(寛永寺の総門)ではない。 総門だった黒門は、1907年(明治40年)、荒川区南千住の円通寺に移築されている。 |
【旧本坊表門所在地】 東京都台東区上野公園14 |
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