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小松宮彰仁親王の銅像
〜上野公園〜


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小松宮彰仁親王銅像


 小松宮彰仁親王は、伏見宮邦家親王第八王子。

 1858年(安政5年)、仁孝天皇の猶子となって親王宣下を受けて、京都仁和寺に入ったが、1867年(慶応3年)、勅命により還俗。

 鳥羽・伏見の戦いでは征討大将軍に任命され、戊辰戦争では奥羽征討総督として指揮を執った。

 寛永寺の十五代貫主・公現法親王(のち還俗して北白川宮能久親王)は弟。

 銅像は、1912年(明治45年)に建てられた。





仁和寺
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東寺
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 小松宮彰仁親王は、仁和寺第三十世門跡。

 1867年(慶応3年)、還俗を命ぜられ、仁和寺宮嘉彰親王と名乗った。

 翌年1月3日、城南宮の薩摩兵が轟かせた大砲から始まったという鳥羽伏見の戦いでは、翌4日、征討大将軍に任命され東寺を本営としたのだという。

 この戦いがきかっけとなり江戸城が開城。

 敗れた徳川慶喜は、水戸で謹慎した後、駿府で謹慎する身となった。

 慶喜の謹慎後、養子の田安亀之助 (徳川家達) が徳川宗家を継ぎ、駿府藩主となって駿府城に入っている。



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寛永寺
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