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荒川区南千住の円通寺にある黒門は、もとは寛永寺の総門。 |
彰義隊は、1868年(慶応4年)2月、徳川慶喜の警護などを目的に、渋沢成一郎、天野八郎らが結成した部隊。 4月11日、江戸城が無血開城され、徳川慶喜が水戸へ退去した後も、日光輪王寺門跡の公現入道親王を擁して、徳川将軍家霊廟守護を名目に、寛永寺を拠点として活動を続けていた。 ただ、慶喜退去後、上野からの撤退を主張していた頭取の渋沢成一郎は、副頭取の天野八郎と対立して彰義隊を脱退し、振武隊を結成している。 5月15日、新政府軍と彰義隊が激突(上野戦争)。 現在の上野公園大噴水あたりにあったという黒門は、最大の激戦地となった。 この戦いで彰義隊は、ほぼ壊滅。 彰義隊が本営としていた寛永寺は、戦火により根本中堂などの主要伽藍が焼失した。 逃走した彰義隊の残党の中には、転戦を重ねて箱館戦争に参加した者もいたのだという。 |
上野戦争後、円通寺の仏磨和尚は、寛永寺の御用商人三河屋幸三郎とともに、上野戦争で亡くなった彰義隊の隊員を現在の上野公園の西郷隆盛像があるあたりで火葬したのだという。 1907年(明治40年)、寛永寺の黒門は、このことが縁となって円通寺に移築された。 |
円通寺は、791年(延暦10年)、坂上田村麻呂によって開かれたと伝えられる曹洞宗の寺院。 山号は補陀山。 本尊は聖観音菩薩。 東京都荒川区南千住1−59−11 |
渋沢栄一は、徳川家ゆかりの寛永寺・浅草寺でそれぞれ檀家総代・信徒総代を務めた。 |
東京都台東区上野桜木1−14−11 |
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