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向嶽寺(こうがくじ)は、1380年(康暦2年)に創建された臨済宗向嶽寺派の大本山。 開基は、甲斐源氏11代当主、甲斐武田氏八代当主の武田信成。 開山は、向嶽寺派の祖といわれる抜隊得勝(ばっすいとくしょう)。 向嶽という寺名は、富士山を望むことからのもので、方丈・仏殿・三門・中門は富士山に向かって一直線の並んでいる。 |
「楯無」(たてなし・鎧)は、武田氏の祖・新羅三郎義光伝来の重宝で、雲峰寺所蔵の「御旗」(日の丸)と対になるもの。 伝説によると・・・ 1582年(天正10年)、織田信長・徳川家康連合軍の侵攻で追い詰められた武田勝頼は、天目山の麓の田野の地で、松の根元に「御旗」を立て、嫡子の信勝(16歳)に「楯無」を着せて元服の儀を執り行ったのだという。 その後、「御旗」は雲峰寺に託され、「楯無」は向嶽寺の庭に埋められたが、のちに徳川家康が掘り出させて、菅田天神社に納められたのだとか。 |
景徳院は、武田勝頼終焉の地・田野に徳川家康が建立させた寺。 |
雲峰寺 (甲州市) |
菅田天神社 (甲州市) |
雲峰寺は、「御旗」の他に武田信玄や勝頼が用いた「孫子の旗」、「諏訪神号旗」、「馬標旗」を所蔵している。 武田信玄は、甲府の鬼門の守護のため「楯無」を菅田天神社に納め、必要に応じて持ち出していたのだという。 |
JR中央本線甲斐塩山駅から徒歩20分 |
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