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大庭神社にあった梵鐘の銘文から、以前は宝染院と称し大庭神社の別当寺であったという。 藤沢宿の感応院の末寺だった。 本尊は、藤沢市内でも珍しい愛染明王。 開基は、山名伊豆守時氏で、創建は文和年間(1352〜56年)頃と考えられている。 本堂前には弘法大師の石像が置かれ、相模国準四国八十八箇所三十四番札所となっている。 |
山名時氏は、鎌倉時代末から南北朝期にかけて活躍した武将。 上野国の新田氏の一族といわれるが、上杉重房の娘を母としているため、新田義貞には従わず上杉と縁戚関係にあった足利尊氏に従っている。 観応の擾乱では、足利直義(尊氏の弟)に従い室町幕府に敵対する。 その後も尊氏の長子直冬(参考:慈恩寺跡(鎌倉))を奉じて京都を占拠するなど幕府に敵対したが、のちに帰順し多くの領国を得た。 |
鎌倉市の深沢小学校裏山の墓地にあった樹齢500年ともいわれた椿の古木の根。 平成7年11月、元禄の頃より続いていた旧家の墓地造成のため椿の古木の根を掘り出し、皮をむくと鶴と亀が表面に現れ、裏面には鯛、貝、男性・女性のシンボルが現れた。 出産等の縁起の良い古木として大日如来が彫刻され、成就院に家内安全の仏として奉納された。 |
大庭の地は、源頼朝の挙兵に敵対した大庭景親の本拠地。 大庭城址がその居城だったされてきたが、近年の研究では戦国期の城跡であることが判明している。 |
藤沢市大庭8157 小田急線「善行駅」より徒歩20分 |
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