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太閤石風呂は、箱根の底倉温泉を流れる蛇骨川の岸の岩盤をくり抜いたもの。 1590年(天正18年)に豊臣秀吉が小田原征伐を行った際に、秀吉や将兵たちがこの湯で疲れを癒したのだと伝えられている。 徳川家康や秀吉の側室・淀殿も訪れているのだとか。 底倉温泉は、小田原北条氏も早雲寺へ参詣の際に浴したという湯。 北条早雲の末子で箱根権現の別当だった幻庵は底倉温泉を保護したのだといわれる。 秀吉も底倉の村人に乱暴狼藉のないことを保証し、小田原征伐後、小田原城に入った大久保忠世は、底倉へ湯治に来る人々から湯銭を取ることを認めたのだという。 |
石垣山城は、秀吉が北条氏攻略のために築いた陣城。 淀殿や千利休が呼ばれて茶会が催され、天皇の勅使を迎えたり、能役者や猿楽師も呼ばれたのだという。 |
秀吉の小田原征伐によって小田原城は開城し、戦国大名の北条氏が滅亡。 合戦後、関東移封となった家康は、大久保忠世を入城させている。 |
伊豆山神社 (走湯権現) |
箱根神社 (箱根権現) |
伊豆山神社と箱根神社は、古代からの霊地で伊豆の流人だった源頼朝が源氏再興を祈願した社。 それぞれ関八州総鎮護・関東総鎮守と称されている。 小田原征伐で焼かれてしまうが、北条氏滅亡後に関東移封となった徳川家康が再建している。 箱根神社には、小田原征伐の最中に秀吉が聚楽第の北政所(寧々)に宛てた自筆の書状が残されている。 |
神奈川県足柄下郡箱根町底倉 箱根登山鉄道「宮ノ下駅」下車、徒歩約12分 |
1180年(治承4年)、石橋山の戦いに敗れた源頼朝は、箱根権現(箱根神社)の別当行実を頼って逃れた。 のちに頼朝は走湯権現(伊豆山神社)・箱根権現の二所と三嶋社を参詣する「二所詣」を始めている。 |
神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80−1 伊豆箱根バス「元箱根」下車 箱根登山バス「元箱根港」下車 徒歩10分 |
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