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節分の夜の豆まきは、大晦日に宮中で行われていた悪鬼を追い払う「追儺」(ついな)という行事に由来し、「追儺」は「おにやらい」「なやらい」とも呼ばれていた。 大晦日の夜、紫宸殿に天皇が出御すると、桃の弓に葦の矢を持った多くの臣下が集まる。 そして、陰陽師が悪鬼を払う祭文を唱えると・・・ 四つ目の恐ろしい形相の仮面を着けた方相氏(ほうそうし)が、二十人の侲子(しんし)を率いて、盾を矛で打ち鳴らしながら目に見えない悪鬼を払って歩き、臣下たちは桃の弓で葦の矢を放って悪鬼を追い払ったのだという。 しかし、後になって方相氏が悪鬼とみなされるようになり追い払われる役になってしまったのだとか。 |
吉田神社や平安神宮の節分祭では、方相氏が登場するらしい。 |
吉田神社 |
平安神宮 |
吉田神社は、平安京の守護神として春日大社を勧請して創建された社。 平安神宮は、1895年(明治28年)に、平安遷都1100年を記念して平安宮の朝堂院を8分の5の規模で復元したもの。 |
吉田神社や平安神宮の節分祭では、方相氏が登場するらしい。 『源氏物語』紅葉賀の巻では、紫の上の童女の犬君が「鬼やらい」の真似事をして紫の上の人形遊びの道具を壊してしまった場面が描かれている。 幻の巻では、紫の上を失い出家の覚悟をした光源氏が、「何で大きな音をたてようか」といいながら走り回っている匂宮の姿をみながら、六条院での最後の正月を迎えるための準備をしている様子が描かれている。 『紫式部日記』には、追儺の儀の後、宮中に盗賊が入ったことが記されている。 女房たちと語りながら歳末の夜を過ごす紫式部 |
紫式部の邸跡といわれる蘆山寺の節分会は京都最古といわれ、3匹の鬼による「鬼踊り」で知られているようです。 |
『枕草子』には節分に方違えが行われていたことが記されている。 清少納言は「すさまじきもの」としているが、それが「豆まき」へと変化していったらしい。 |
清少納言 節分の方違え~「すさまじきもの」から「豆まき」に~ |
貴船神社は、姫のために中将が豆を炒って鬼に打ちつけたことで恋の守護神になったのだとか。 |
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