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994年(正暦5年)2月21日、藤原道隆は積善寺で、一条天皇の生母・藤原詮子や中宮・藤原定子の隣席のもとで一切経供養を営んだ。 『枕草子』によると・・・ 定子は、供養参列のため内裏から二条宮に退出するが、そこには満開の桜があった。 清少納言は 「まだ梅が盛りなのに・・・」 と思いながらよく見ると、造花の桜で、道隆が定子のために設えた桜だった。 しかし、夜中に雨が降ると見苦しい状態になってしまう。 道隆は定子に気づかれぬように桜を撤去。 ただ、清少納言には気づかれてしまい、悔しがったのだとか。 清少納言は定子に 「春風がやったことでしょう」 と知らないふりをしたらしい・・・ この記述は、道隆の権勢を示すものだが、道隆は翌年薨去。 その後、中関白家(道隆の一族)は没落。 『枕草子』には、中関白家の衰退を連想させる散る桜は描かれていない。 清少納言が描いた桜は散らない桜!いつも満開! |
桜は中宮・藤原定子!~清少納言が描いた桜は、散らない桜!~ |
法雲寺は、藤原兼家がに創建した法興院の庭園跡に建てられた寺院。 道隆は法興院内に積善寺を建立している。 |
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