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浄明寺の鎌倉公方屋敷跡碑の奥にあるやぐら。 源頼朝の愛馬、生食(いけづき)と磨墨(するすみ)の足洗い場との伝承があって、江戸時代から明治にかけては名所の一つになっていたという。 生食(いけづき)と磨墨(するすみ)は、宇治川の合戦の折、頼朝から佐々木高綱と梶原景季にそれぞれ与えられた。 名馬を拝領した2人は、宇治川を渡る際に、先陣を争い、景季が先を進んでいたが、後方の高綱が 「馬の腹帯がゆるんでいる。おしめなされ」 と声をかけたため、景季は腹帯を締め直した。 その間に高綱は先に川の中へ馬を乗り入れ、向こう岸へと馬を乗りあげた。 これに刺激された義経軍は、義仲軍を散々に討ち破ったのだとか。 |
磨墨像 (東京大田区) |
池月像 (東京大田区) |
伝説によると、生食(池月)は、1180年(治承4年)、源氏再興の挙兵をして鎌倉を目指す源頼朝が、洗足池の畔に宿営したときに飛来したのだという。 磨墨は、馬込(東京大田区)の産といわれ、萬福寺の山門前には磨墨像が置かれている。 |
名馬「生食」は、鳥山の高綱館(鳥山八幡宮付近)で余生を過ごしたのだという。 高綱は、「生食」の霊を慰めるために駒形明神を建てたというが、今はなく、その代わりに馬頭観音堂が残されている。 |
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