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梶原塚は、諏訪大社下社の大祝(おおほうり)だった金刺盛澄(諏訪盛澄)の命を救った梶原景時のもの。 盛澄は、1200年(正治2年)1月20日、上洛途上の駿河国で最期を遂げた景時の恩に報いるため、諏訪大社下社の上座堂の地に塚を建てたのだという。 流鏑馬と諏訪盛澄の逸話 梶原景時の変 |
金刺盛澄(かなさしのもりずみ)は諏訪大社下社の大祝。 諏訪盛澄とも呼ばれる。 源頼朝が挙兵したとき木曽義仲に味方したことから、義仲の滅亡後に捕らえられ、梶原景時に預けられていたが、鶴岡八幡宮で催された流鏑馬で妙技を見せたことで許されたのだという。 流鏑馬と諏訪盛澄の逸話 |
唐糸は金刺盛澄の弟手塚光盛の娘で、源頼朝を暗殺しようとして石牢(唐糸やぐら)に閉じ込められたが、それを救ったのが唐糸の娘の万寿だったのだという。 |
本宮 長野県諏訪市中洲宮山1 前宮 長野県茅野市宮川2030 春宮 長野県諏訪郡下諏訪町193 秋宮 長野県諏訪郡下諏訪町5828 |
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