|
浄智寺の山門は、鎌倉でも珍しい花頭窓の鐘楼門。 鐘つき堂を兼ねた建物で上層には1649年(慶安2年)の梵鐘が吊るされている。 |
山居幽勝は、「山の住まいはいいところだ」という意味なのだとか。 裏山山頂の天柱峰までが浄智寺の境内。 まさに山居幽勝。 |
庫裏に保管されているという銅鐘は、龍頭が鐘全体にくらべて小さく、かつ繊細な感じのする鐘(県指定文化財)。 銘文によると・・・ 豊州京都郡堅嶋村の浄土院(廃寺)の鐘として1340年(暦応3年)に鋳造されたもので、1616年(元和2年)に浅田の玉祖五宮に買い取られる。 |
※ | 豊州京都郡堅嶋村は、現在の福岡県京都郡苅田村字下片島 |
※ | 浅田は周防国(現在の山口県山口市) |
※ | 玉祖五宮は朝田神社 |
その後・・・ 1909年(明治42年)、神社整理の内務省令により、朝田神社は住吉神社ら6社と合祀されることとなり、朝田の地からの高畑の地に移転。 合祀の際、住吉神社の梵鐘が残され、朝田神社の梵鐘は競売にかけられる。 杉孫七郎に買い取られた梵鐘は、その後、東京市麹町区の前島久吉、青森県八戸の南部鉄道の大久保氏の所有を経て、浄智寺に寄贈されたのだという。 |
浄智寺には、1332年(正慶元年/元弘2年)に北条高時が寄進した鐘があった。 銘を円覚寺の清拙正澄が撰したものだったのだという。 その鐘は、1150年(天文19年)に北条氏康によって伊豆山神社に寄進された。 何故か??? 伊豆山神社には960年(天徳4年)に鋳造された鐘があったそうだが、氏康が鉄砲を作るために潰してしまったのだとか。 これを後悔した氏康は、浄智寺の鐘を寄進したのだと伝えられている。 鐘の追刻には天文19年閏5月18日に寄進したことが刻まれていたそうだが、現在は銘の拓本を残すのみで鐘は存在していない。 |
浄智寺は、鎌倉五山の第四位。 その格式にふさわしく、盛時には、蔵雲庵・正昭庵・正源庵などの塔頭や諸堂があったという。 |
鎌倉市山ノ内1402 0467(22)3943 北鎌倉駅より徒歩10分 |
大きい地図を見るには・・・ 右上のフルスクリーンをクリック。 |
|