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瑞泉寺総門近くには、三代鎌倉公方の足利満兼が、前鎌倉公方の足利氏満の供養のために建立した永安寺があった。 開山は曇芳周応と伝えられている。「永安寺」は、足利氏満の法号。 東慶寺の鐘楼の梵鐘は、永安寺跡から掘り出されたものと伝えられる。 |
1438年(永享10年)、足利氏満の孫で四代鎌倉公方の足利持氏は、将軍足利義教に対し反乱を起こし、翌年永安寺で自刃した(永享の乱)。 鎌倉公方は、代々京の将軍と対立する姿勢を示し、将軍位を奪う野心をむき出しにしてきたが、度々、関東管領上杉氏の諫めにあい思いとどまっていた。 しかし、持氏はことごとく将軍義教に反発し、義教の派遣した今川範忠に敗れてしまう。嫡子義久も報国寺で自刃している。 大町の別願寺には、持氏の怒りを鎮めるために建てられたという供養塔が残されている。 のちに、持氏の遺児成氏が鎌倉公方となるが、鎌倉に留まることができず、古河に逃れ「古河公方」と呼ばれた。以後、鎌倉は、政治の中心から離れ廃れていく。 永安寺は、永享の乱後、瑞泉寺の塔頭となったが廃寺となった。 |
瑞泉寺は、夢窓疎石によって開かれた禅寺。 疎石によって造営されたという庭園は、国の名勝指定を受けている。 |
鎌倉市二階堂710 0467(22)1191 鎌倉駅徒歩30分 バス停「大塔宮」から徒歩10分 |
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