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東慶寺の鐘楼は1916年(大正5年)に建てられ、1923年(大正12年)の関東大震災で唯一倒壊しなかった建築物。 吊されている梵鐘は、材木座の補陀洛寺から移されたもの。 1350年(観応元年)の鋳造。 鋳物師は物部光連。 総高143センチメートル、口径77.1センチメートル。 『新編相模国風土記稿』によると農民が土中から掘り出したもので、『新編鎌倉志』によると二階堂にあった永安寺跡に埋められていたものだという。 |
除夜の鐘:鎌倉〜除夜の鐘が撞ける寺〜 物部氏〜鎌倉大仏鋳造に携わった鋳物師と銅鐘〜 |
鐘楼天井画(下画)は、東慶寺男僧第三世の佐藤禅忠和尚の雲水時代のもの(1916年(大正5年))。 禅忠和尚の住持4年目、1923年(大正12年)、関東大震災が発生。 東慶寺の伽藍は鐘楼を残して全てが倒壊するという甚大な被害に見舞われた。 伽藍再建のために奔走した禅忠和尚。 現在我々が目にする境内の素晴らしい景観は、この時の禅忠和尚の尽力によるもの。 |
東慶寺は、北条時宗の妻覚山尼が開いた。 かつては、鎌倉尼五山第二位の格式を誇り、夫の横暴に悩む女性の救済場所だった。 |
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