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京都のシンボル五重塔
東寺(教王護国寺)

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東寺五重塔


 東寺(教王護国寺)の五重塔は日本一の高さを誇る木造塔(54.8メートル)。

 826年(天長3年)、弘法大師(空海)が金堂に続いて創建に着手した建物。

 存命中の完成は叶わず、没してから約50年後に創建されたのだという。

 しかし、創建塔は1055年(天喜3年)の落雷で焼失。

 その後も3度の焼失があった(耐震構造のため地震で倒壊したという記録はない。)。

 現在の五重塔は、1635年(寛永12年)の焼失後、1641年(寛永18年)に明正天皇の詔を奉じて徳川家光が復興に着手したもので、1644年(寛永21年)に再建された(国宝)。

 内部には、心柱を大日如来に見立て金剛界四仏像と八大菩薩像が安置され、壁や柱には金剛界曼荼羅や八大龍王、真言八祖像が描かれている。



 仁和寺の五重塔も東寺の五重塔と同じ頃の再建で、各層の屋根がほぼ同一の大きさに造られ、江戸期の五重塔の特徴をよく表しているという。



東寺五重塔





〜空海の奔走〜

 弘法大師(空海)は、金堂の次に五重塔の創建に着手するが、費用も人手も不足していたことから、826年(天長3年)11月24日、「東寺の塔を造り奉る材木を曳き運ぶ勧進の表」を朝廷に提出して材木運搬の協力を願い出たのだという。





〜安置されている諸仏〜

1643年(寛永20年)から翌年にかけて造立されたもの。


東面・・・
阿しゅく如来・弥勒菩薩・金剛蔵菩薩

南面・・・
宝生如来・除蓋障菩薩・虚空蔵菩薩

西面・・・
阿弥陀如来・文殊菩薩・観音菩薩

北面・・・
不空成就如来・普賢菩薩・地蔵菩薩



東寺五重塔





〜文覚による修理〜〜

 建久年間(1190‐1199)、源頼朝から東寺復興のための勧進の許可を得た文覚は、金堂 ・ 五重塔などの堂塔を修理。

 運慶に依頼して講堂の諸仏の修理も行っている。





〜願行による再建〜

 1270年(文永7年)に焼失した際に再建に携わったのは願行

 1279(弘安2年)から始められた再建は、1293年(永仁元年)に成し遂げられた。

 願行は、鎌倉幕府八代執権北条時宗の子貞時の病気を快復させたことで、時宗から東寺修造の協力を得ることができたのだとか。










東寺五重塔



〜木造塔の高さベスト3〜

1位 東寺五重塔

2位 興福寺五重塔

3位 法観寺五重塔(八坂の塔)


五重塔ベスト3

京都の五重塔





〜伏見稲荷大社と東寺の五重塔〜

 東寺の五重塔は、その用材を伏見の稲荷山から伐りだした。

 そのため淳和天皇が病気になったと伝えられ、朝廷は、これまで秦氏の私社だっ稲荷大神に従五位下を神階に授けたのだという。

 以後、伏見稲荷大社東寺は深く結びついてきた。

 今でも5月3日の伏見稲荷大社の「還幸祭」では東寺の僧による神供が行われている。


伏見稲荷大社
リンクボタン伏見稲荷大社


伏見稲荷大社御旅所
リンクボタン伏見稲荷大社御旅所

 4月から5月の稲荷祭で五基の神輿が駐輿(おとどまり)される地。

 伏見稲荷大社御旅所は東寺通にある。





(参考)
〜東大寺の七重塔と法勝寺の九重塔〜


東大寺七重塔相輪
リンクボタン東大寺の東塔
法勝寺
リンクボタン法勝寺


 2024年(令和6年)、奈良の東大寺にあった東塔の高さについての研究結果によると・・・

 東大寺東塔は、現存する木造塔で最も高い東寺の五重塔を13メートル上回る68メートルと特定された。

 平安時代後期に白河天皇によって建立された法勝寺の八角九重塔は高さ80メートルに及んだといわれる。









歴史めぐり源頼朝




東寺(教王護国寺)
リンクボタン東寺(教王護国寺)

 東寺(教王護国寺)は、桓武天皇によって平安京鎮護の官寺として創建された。
 のちに弘法大師に下賜され、我が国初の密教寺院となった。


京都市南区九条町1

JR京都駅八条口から徒歩15分
近鉄「近鉄東寺駅」下車徒歩10分


五重塔ベスト3



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