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白雲神社
~京都御苑~


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京都御苑:白雲神社


 京都御苑の白雲神社(しらくもじんじゃ)は、旧西園寺家の鎮守社。

 祭神は市杵島姫命(妙音弁財天)。


 1224年(元仁元年)、西園寺公経が別荘の北山第を造営する際に建立された妙音堂に由来するとされる。

 その後、幾たびかの移転を繰り返し、1796年(明和6年)に現在地に移されて再興された。

 明治以降、西園寺家が東京に移り「白雲神社」と称されるようになり、御所の弁天さんとして親しまれている。




金閣寺庭園
リンクボタン金閣寺

 西園寺公経の北山第があったのは金閣寺(鹿苑寺)がある地。

 金閣寺は、室町幕府三代将軍の足利義満が西園寺公経の別荘「北山第」を譲り受け、邸宅として使用した山荘「北山殿」をその始まりとしている。





木造弁才天坐像
(西園寺妙音堂旧本尊)

 白雲神社の弁財天(弁才天)は二臂の坐像(重要文化財)。

 上半身裸形の菩薩形で琵琶を演奏するという姿。

 西園寺公経の妙音堂の本尊だったといわれる。

 鎌倉時代の作と推定され、運慶の子湛慶の作風に通じるものがあるのだという。

 琵琶の名手として知られた太政大臣・藤原師長が信仰していた像ともいわれている(我が国の二臂弁才天の最古例)。



(参考)

鶴岡八幡宮・弁財天
リンクボタン鶴岡八幡宮の弁財天

 鶴岡八幡宮弁財天坐像は、鎌倉時代の作で白雲神社と同じ裸像。

 弁才天の彫像は、東大寺三月堂の弁才天立像が最古の例とされているが、平安・鎌倉時代に遡るものは少なく、特に二臂弁才天は少ない。

 参考までに、江の島妙音弁財天も裸像。





~西園寺公経と鎌倉幕府~

 西園寺公経は、鎌倉幕府と親しかった公卿。

 1159年(平治元年)の平治の乱後、源頼朝の助命を平清盛に嘆願した池禅尼の子・平頼盛の曾孫にあたり・・・

 頼朝の姉妹・坊門姫と夫の一条能保の間にできた全子を妻としていた。

 1219年(建保7年)、三代将軍の源実朝が暗殺されると、外孫にあたる三寅(九条頼経)を下向させる運動の中心人物となった。

 1221年(承久3年)の承久の乱では、後鳥羽上皇に幽閉されるが、1222年(貞応元年)には、北条政子の推挙もあって太政大臣に就任。

 承久の乱後の朝廷は、公経を中心に再編成されている。





京都御所
リンクボタン京都御所


京都市上京区京都御苑3

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