鎌倉手帳(寺社散策)

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弁慶と北条時宗の伝説
〜鎌倉:極楽寺〜

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〜伝説!弁慶腰掛の松〜

 1185年(文治元年)、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼし、鎌倉に凱旋しようとした源義経

 しかし、兄源頼朝の怒りに遭い鎌倉に入ることができなかった。

 逗留した腰越の満福寺から頼朝へ弁解のための書状(腰越状)を提出したが、許されることはなく・・・

 弁慶は、極楽寺奥の山にあったという松の木にのぼって腰を掛け、鎌倉を睨みつけ無念の涙をこぼしたのだという。



満福寺彫刻


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〜伝説!北条時宗〜

 かつて、極楽寺の奥には、馬術けいこのための馬場があった。

 1261年(文応2年)4月25日、北条時頼が将軍宗尊親王をつれて馬場にやってきた。

 しかし、そこで行われた「小笠懸」(おがさがけ)では、だれも的を射とめることができなかった。

 「だれか的を射れる者はいないのか」との親王の言葉に参加者は黙ってしまったが、時頼は11歳の子時宗に挑戦させた。

 時宗はその期待にこたえ、見事一発で的を射とめたという。

 それを見た時頼は「時宗こそ受け継ぐ器に相当」と喜んだのだという。


 のちに八代執権となる北条時宗は、宗尊親王の御所で元服し、その一字を賜り「相模太郎時宗」と名乗った。 



八重一重咲分桜
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 極楽寺境内の時宗お手植えと伝わる八重一重咲分桜









極楽寺
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極楽寺は真言律宗の寺院。
開山の忍性は社会事業に力を注ぎ「医王如来」と崇められた高僧。


鎌倉市極楽寺3−6−7
0467(22)3402

江ノ電「極楽寺駅」からすぐ


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