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園城寺 |
東寺 |
かつての鶴岡八幡宮は、神仏混淆の宗教施設。 その長官は別当と呼ばれていた。 1180年(治承4年)10月、源頼朝が鶴岡八幡宮を現在地に遷座した頃は、仮の別当として伊豆山権現の専光房良暹(りょうせん)が任命され、若宮や源平池の造営に携わっていたが、同年12月には上総国より定兼が招かれて最初の供僧職に任じられた。 2年後の1182年(寿永元年)9月23日、源頼朝は、初代別当に園城寺の円暁を任命。 鶴岡八幡宮の社務職次第によれば、「母は六条判官為義の女」とあることから、頼朝の従兄弟ということになる。 その後、尊暁・定暁・公暁(源頼家の子)・慶幸と園城寺関係者から登用されたが、六代目の定豪からは東寺系の別当も就任するようなり、十九代頼仲以降は東寺系で占められるようになった。 |
後三条院 | 源義家 | |||||
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輔仁親王 | ― | 娘 | 為義 | |||
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行恵 | ――― | 娘 | 義朝 | |||
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円暁 | 頼朝 |
※ | 源為義を源義家の子とする説をとると、頼朝と円暁は従兄弟。 |
源氏ゆかりの園城寺(三井寺)と源実朝 |
鶴岡八幡宮裏山には、二十五坊と別当坊(長官の宿舎)があった。 |
鶴岡八幡宮最初の供僧阿闍梨定兼 |
鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)に源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請して創建した鶴岡若宮を前身とし、1180年(治承4年)に源頼朝が現在地に遷した。 以後、武家の都「鎌倉」の中心に置かれ、長く武家の崇敬を集めた。 |
鎌倉市雪ノ下2−1−31 0467(22)0315 鎌倉駅東口より徒歩10分 |
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