源頼朝の永福寺建立と怪力で活躍した畠山重忠 |
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永福寺は、源頼朝が奥州平泉の中尊寺、毛越寺、無量光院などを模して建てた寺院。 『吾妻鏡』によると・・・ 1192年(建久3年)正月、頼朝は永福寺の建立に着手。 6月13日、頼朝は新築中の堂を視察。 畠山重忠・佐貫広綱・城長茂・工藤行光・下河辺政義らが、もの凄い力で梁や棟木を引き上げていた。 力士数十人分ものパワーに見物していた者が驚き、頼朝も感心したのだという。 その働く者の中には、1184年(寿永3年)の木曽義仲追討の際に捕えられ、囚人として梶原景時に預けられていた皆川権六太郎もいた。 頼朝は、その働きぶりをみて、直ちに罪を許したのだとか。 8月24日、池の造営が始まった。 頼朝は、近国の御家人に三人の人足を出すよう命じている。 8月27日、池の造営工事の様子を視察した頼朝は、庭師・阿波阿闍梨静空の弟子僧の静玄を呼んで、庭石の配置について相談し、岩石数十個をあちらこちらから取り寄せて高岡を造らせた。 9月11日、静玄が池に石を立てた。 頼朝は、これを見るために藤原行政の屋敷に泊まっていたのだとか・・・ 汀野の埋石(みぎわのうめいし)、金沼汀野筋汀(きんしょうみぎわのすじ)、鵜會石嶋(うかいいしじま)などの石がこの日に立て終わった。 沼石や形石などは、一丈(約3メートル)もあったが、畠山重忠が一人で池の真ん中まで運んで立て置いたのだとか。 見ている者は皆、その怪力に驚いたのだという。 10月25日、総門が建てられた。 10月29日、扉と仏壇の後壁の絵が描き終わる。 絵は奥州平泉の円隆寺(毛越寺本堂)の壁画を模して修理少進季長が描いたのだという。 11月13日、池の庭石の配置に気に入らないところがあった頼朝は、静玄を呼んで直させた。 石を動かしたのは、畠山重忠、佐貫広綱、大井実春。 百人力の働きをみせた三人に、頼朝は感心したのだとか・・・。 そして、11月20日、永福寺の工事が終了。 |
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