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上粕屋神社参道付近にある七人塚は、太田道灌が上杉定正に襲われた時に討死した家臣7名の墓。 |
神奈川県伊勢原市上粕屋1345 小田急線伊勢原駅より『バス』 神奈中バス大山ケーブル駅行き 「道灌塚」下車、徒歩約5分 |
享徳の乱や長尾景春の乱で活躍し、扇谷上杉家の勢力を大きくした道灌でしたが、謀反を疑った主君の上杉定正は、1486年(文明18年)7月26日、道灌を糟屋館に招き、入浴をすすめて刺客に襲わせた。 死の間際に道灌は「当方滅亡」と言い残したのだという。 自分が死ねば扇谷に未来はないという予言だった。 その通り、道灌の死後、扇谷上杉家は山内上杉家と関東の覇権をかけて対立し、両家ともに勢力を衰退させてしまう。 やがて、関東は韮山城を拠点に小田原城を奪取した北条早雲に攻めらることとなる。 そして、1546年(天文15年)の河越夜戦で扇谷上杉家は滅亡した。 |
太田道灌の墓 (大慈寺) |
太田道灌の墓 (洞昌院) |
伊勢原市では、毎年10月の土・日に「道灌まつり」が開催される。 |
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