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大鋸の旧鎌倉道沿いにある神社。 かつては、江の島からこの付近まで船が出入りし、鎌倉時代には三代将軍源実朝の渡宋のための船を建造する用材を伐り出した所と伝えられている。 戦国時代には、小田原北条氏の職人衆のうちの「大鋸引」が住んでいた所とされ、「藤沢大鋸引」が玉縄城や小田原城の造営に召し使われていたもと伝えられている。 そのため大鋸という名が地名として残された。 |
弟橘姫命 (おとたちばなひめのみこと) |
1216年(建保4年)6月15日、東大寺大仏の再建に尽力した宋の僧陳和卿が三代将軍源実朝に対面して、「前世で、あなたは宋の医王山の長老で、私はその門弟だった」と語ったそうである。 かつて実朝の夢の中に現れた高僧も同じことを言っていたのだという。 そんな事から、実朝は医王山参詣を思い立ち、11月24日、陳和卿に宋へ渡るための船の建造を命じた。 しかし、翌年4月、船は完成したものの、進水に失敗し、砂浜で朽ち果てたという。 この船の用材が大鋸の地から伐り出されたと伝えられ、乗船成就海上守護のために勧請されたのが「船玉神社」と伝わっている。 近くには、源頼朝が勧請した三嶋大明神が置かれる感応院があり、その感応院は、源実朝が開基と伝えられている。 |
宋に憧れた将軍〜源実朝の唐船建造・渡宋計画〜 |
源実朝が宋への憧れを持った証として、円覚寺の舎利殿には、実朝が能仁寺より請来したという仏舎利(右奥歯)が納められ、鶴岡八幡宮若宮の横のビャクシンの古木は、実朝が宋から苗を取り寄せて植えたものと伝えられている。 |
舎利殿 (円覚寺正続院) |
ビャクシン (鶴岡八幡宮) |
神奈川県藤沢市大鋸2−4−12 藤沢駅から徒歩15分 |
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