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藤原保輔(ふじわらのやすすけ)は、平安時代中期の下級官人。 『宇治拾遺物語』に「盗人の長にてぞありける」と書かれた盗賊で、自宅に物売りを呼び寄せては蔵の中に掘った穴に突き落とし命を取っていたのだという。 兄の斉明も無法者で、藤原実資の『小右記』によると・・・ 985年(永観3年)、兄の斉明は大江匡衡に対する傷害事件を起こし、弟の保輔は藤原季孝に対する障害事件を起こしている。 巧みに身を隠していた保輔だったが、988年(永延2年)6月13日、藤原顕光の屋敷に閉じ籠っているところ捕縛された。 『続故事談』によると、逮捕の際に割腹し腸を取り出して自害したのだという。 |
※ | 保輔は盗賊「袴垂」と同一視されることもあるが別人と考えるべき。 |
※ | 兄斉明に襲われた大江匡衡は、赤染衛門の夫。 |
武勇にすぐれ「勇士武略之長」と讃えられた藤原保昌は、保輔の兄。 藤原道長に仕え、源頼信・平維衡・平致頼らとともに道長四天王と称された武者。 和泉式部と結婚するため、紫宸殿の梅の枝を持ってきたという伝説が残されている。 祇園祭の保昌山は保昌が御神体。 |
和泉式部に恋した平井保昌の伝説~祇園祭・保昌山~ |
堀河院は、保輔が籠居していたという藤原顕光の邸宅。 顕光は、のちに左大臣となる人物。 なぜ、保輔は顕光邸に籠居していたのだろうか? |
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