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神代には ありもやしけん 山ざくら けふの挿頭に 折れるためしは |
「神代には山桜を今日の祭の挿頭のために折り取った例はあったのだろうか」 賀茂祭の日まで散り残っていた山桜を、中宮・藤原彰子が勅使の少将の挿頭に与えるというので、 紫式部は、この歌を桜の葉に結び付けて贈ったたらしい。 「少将」は、藤原道長の次男・頼宗と考えられている。 「挿頭」(かざし)は、髪や冠にさす草木の花や枝のことで、賀茂祭では二葉葵を社前や祭人の衣冠、車のすだれなどに飾るのだが・・・ 中宮・藤原彰子は、散り残った山桜を珍重して頼宗に与えたのだとか。 1007年(寛弘4年)の賀茂祭の日の出来事らしい。 |
上賀茂神社 |
下鴨神社 |
賀茂祭(葵祭)は、賀茂神社(上賀茂神社と下鴨神社)の祭礼。 『源氏物語』では、葵の上と六条御息所の場所取り争い(車争い)が展開される。 |
紫式部は、賀茂祭の日に上賀茂神社の片岡社を参拝して一首詠んでいる。 996年(長徳2年)に父の藤原為時に同行して越前国へ下向する直前の歌とする説もある。 |
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