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人の親の 心は闇に あらねども 子を思ふ道に まどひぬるかな |
「親の心は闇ではないが、子どものことになると道に迷ったようにうろたえてしまう」 紫式部の曾祖父・藤原兼輔の歌。 兼輔は、賀茂川堤に屋敷があったことから「堤中納言」と呼ばれ、三十六歌仙の一人にも選ばれている歌人。 この歌は、醍醐天皇の更衣となった娘の桑子を案じて詠んだものとされる。 桑子は924年(延長2年)に章明親王を生むが、皇子が3歳の時に亡くなったのだという。 『源氏物語』の舞台は醍醐天皇の時代とされているが、紫式部は桑子と3歳の光源氏をのこして亡くなった桐壺更衣を重ねていたのかもしれない。 参考までに、更衣が置かれたのは醍醐天皇の子・村上天皇までで紫式部の時代には置かれていなかったらしい。 また、『源氏物語』には兼輔の歌が随所に引用されている。 紫式部は、下級官人の家に生まれたが、先祖には兼輔のような中納言にまで出世し、娘を入天皇に内させることができる人物がいたことを誇りに思っていたらしい。 |
藤原兼輔 |
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大河ドラマ「光る君へ」では、主人公のまひろがこの歌を読み上げる場面が・・・ 「光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館」は、紫式部部ゆかりの石山寺に設置されている。 |
勧修寺は、醍醐天皇が母藤原胤子の菩提を弔うために建てた寺。 胤子の父・藤原高藤と母・宮道列子は紫式部の先祖。 左大臣源雅信の正妻藤原穆子、紫式部の夫藤原宣孝の先祖。 『源氏物語』に登場する光源氏と明石の君の恋の話は、身分の低い列子と貴公子・高藤の恋の話がモデルであるとされる。 |
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