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紫式部が書いた『源氏物語』の原本は残されていないが・・・ 写本として、藤原定家が作成したという「青表紙本」と、源光行・親行の親子が作成したという「河内本」がある。 そして・・・ 「河内本」を写したものが尾張徳川家に伝えられた「尾州家本源氏物語」。 「尾州家本源氏物語」は、1258年(正嘉2年)5月に北条実時が「河内本」の原本を借りて書写させたもので、金沢文庫に収められていたのだという。 鎌倉幕府滅亡後は所在不明となっていたが、安土桃山期には豊臣秀吉・徳川家康が所有し、家康の死後、尾張徳川家の祖・徳川義直に譲られたのだとか。 現在は名古屋市蓬左文庫に収蔵されている。 ただ、北条実時が作らせた写本ではなく、それを写した写本という説がある。 |
金沢文庫は、北条実時が称名寺に創設した武家の書庫をはじまりとする。 実時は二代執権・北条義時の孫で四代執権北条経時・五代執権北条時頼・八代執権北条時宗に仕えた。 |
鎌倉幕府の記録『吾妻鏡』によると・・・ 1254年(建長6年)12月18日、御所では源親行が『光源氏物語』の講義を行っている。 |
源親行が『光源氏物語』の講義が行った時と、北条実時が「河内本」を書写させた時の鎌倉幕府の将軍は宗尊親王。 宮内庁の『源氏秘義抄』には、宗尊親王の御所の屏風には色紙形の源氏絵が作られて貼られていたことが記されているらしい。 この源氏絵は将軍家に伝来していた『源氏物語絵巻』を依拠したもので、『源氏物語絵巻』の絵は紀の局と長門の局が描き、詞書は法性寺忠通(藤原忠通)や花園有仁(源有仁)だったのだという。 ということは、『源氏物語』が作られてから約100年後に作られた『源氏物語絵巻』が鎌倉にあったことになる。 |
宗尊親王の時代の幕府は、若宮大路に置かれていた。 |
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