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宝治合戦によって敗れた三浦一族の墓。 北条義時の法華堂跡の山腹にある。 三浦泰村は、将軍を中心とする反執権勢力に近づくなど不穏な動きをみせていたため、北条時頼からは危険視されていた。 そんな中、時頼の外戚である安達景盛、義景父子らが兵を起こし、一気に合戦となった。 大江広元の子である毛利季光は、三浦方につき、一族は討死したが、子孫が残存してのちに毛利元就を出している(参考:大江広元邸跡)。 三浦泰村一族は、源頼朝の法華堂で最期を遂げた。三浦氏は頼朝の挙兵以来の御家人。 鎌倉十橋の一つ筋違橋の石碑に宝治合戦のことが記されている。 |
鎌倉市西御門2丁目 鎌倉駅東口より徒歩15分 |
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