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建穂寺(たきょうじ)は、白鳳年間(645‐710)の創建と伝えられ、「駿河の高野山」と称されるほどの真言宗の大寺院だったのだという。 『吾妻鏡』によると・・・ 1210年(承元4年)11月21日明け方、建穂寺の鎮守・馬鳴大明神から酉年に戦があるというお告げがあったのだという。 同日、将軍源実朝も夢の中でお告げを聞いたのだとか・・・ 3年後の酉年に起こったのが北条義時と和田義盛が戦った和田合戦。 駿河国出身の僧で鎌倉の建長寺十三世となった南浦紹明は、幼い頃に建穂寺で学んだのだという。 江戸時代には徳川家康の保護を受け、久能寺とともに駿河国を代表する寺院として栄えたが、明治の神仏分離により廃寺となった。 その後、残されていた伽藍が焼失。 現在の観音堂は建穂町内会の寄付により再建されたもので、焼失を免れた仏像が安置されている。 秘仏本尊の千手観音は毎年8月に公開。 |
建穂神社は建穂寺の鎮守神。 焼失した建穂寺の跡に建てられている。 かつては「馬鳴大明神」と称され、お告げを受けた源実朝は御剣を奉納しているのだという。 |
泉親衡の乱から和田義盛の挙兵まで〜和田合戦『吾妻鏡』〜 |
静岡浅間神社は、今川氏の人質だった徳川家康が元服式を行った神社。 4月の廿日会祭で奉納される「稚児舞楽」は、建穂寺で行われていたものなのだという。 |
静岡県静岡市葵区建穂2−12−6 JR静岡駅から谷津バスターミナル行バス「羽鳥団地前」下車 |
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