大庭景義に不思議な出来事が起こった月 |
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『吾妻鏡』によると・・・ 1188年(文治4年)10月、大庭景義が鶴岡八幡宮の流鏑馬馬場の辺りに警備のための小屋を建てた。 庭には多くの木が植えられ、紅葉は盛りの時だった。 10月20日、源頼朝がその建物に赴き、鶴岡八幡宮別当の円暁も参加して紅葉狩りの宴会が催され、酒宴の間には、稚児たちが延年の舞を踊った。 11月1日、鶴岡八幡宮の流鏑馬馬場の木が風もないのに倒れてしまう。 大庭景義の報告を受けて様子を見に行った頼朝は、馬や供物を奉げ、お祓いをしたのだという。 11月18日早朝、大庭景義邸の庭で狐が死んでいた。 怪異な事なので閉門したのだとか。 11月27日、相模国豊田庄の大庭景義の父景宗の墓が盗賊に攻められて掘り返され、納められていた重宝が盗まれた 追いかけて捜したが、逃げられてしまったのだとか・・・ |
大庭景義は、相模国の大庭御厨の懐島郷(現在の茅ヶ崎市)を本拠とした武将。 1156年(保元元年)の保元の乱で、源為朝の矢を受けて負傷し、家督を弟の景親に譲って懐島郷に隠棲したのだという。 1180年(治承4年)の頼朝の挙兵時には、弟の景親と景久は平家方に付いたが、景義は頼朝に味方した。 神明大神宮は、景義が館の鬼門に伊勢神宮を勧請して建立した社。 |
神奈川県茅ケ崎市円蔵2282 JR東海道線「茅ヶ崎駅」から徒歩30分 JR相模線「北茅ヶ崎駅」から徒歩20分 茅ヶ崎駅からバス「円蔵」下車すぐ |
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