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『吾妻鏡』によると・・・ 1235年(嘉禎元年)閏6月28日、起請失(きしょうとが)の篇目が定められた。 「起請失」は、神仏などに誓約する「起請文」が真実でなかった場合のこと。 神社などに14日間籠もって、以下の事が起こらなかったら無罪ということらしい。 |
@鼻血が出る A病気になる B鳶烏の糞がかかる C鼠に衣装を食べられる D体から血を流す E重軽の喪に服す F父子に罪科人がでる G飲食の時にむせる H馬が倒れる |
現代では信じられない法令だが、鎌倉時代は神仏に誓約するということは重大な事。 「神仏に嘘をつくことはできない」 ということ。 仏法を崇め仏神に帰依すべきことは、御成敗式目の第1条に規定されている。 |
御成敗式目〜北条泰時が評定衆に書かせた起請文〜 |
「起請失」は、法令が施行させる前から行われていた事。 1230年(寛喜2年)5月5日、常御所に盗人が入り、下級武士と美女が捕らえられた。 翌日、2人は鶴岡八幡宮に参籠させられ起請文を書いている。 この2人は起請失があったため有罪となった。 |
1244(寛元2年)7月20日、落合泰宗と市河氏の女子藤原氏は、密通の罪で荏柄天神社に参籠させられ、起請文を書いた。 藤原氏の夫からの訴えであったようだが、2人は無罪となった。 |
御成敗式目は、1232年(貞永元年)、三代執権北条泰時によって制定された武家の法典。 制定時期と寛喜の大飢饉の時期が重なっていることから、飢饉の影響を受けているとの説もある。 また、泰時が承久の乱後に帰依した栂尾高山寺の明恵の思想が強く影響しているとも言われる。 |
北条泰時と栂尾高山寺の明恵 |
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