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十二所神社は、光触寺の境内にあったという熊野十二所権現の社が前身とされ、江戸時代末に明王院住職の村人への呼びかけによって、現在の地に新社殿が建立されたと伝えられている。 明治の神仏分離によって「十二所神社」と改名された。 十二所神社の創建年は不明だが、1182年(寿永元年)、北条政子の出産に際して奉幣使が派遣され、二代将軍源頼家の誕生に際しては、神馬が奉納されているという。 十二所(じゅうにそ)という地名は、熊野十二所権現の社があったことから付いた地名と伝えられる。 |
天神七柱 (あまつかみななはしら) 地神五柱 (くにつかみいつはしら) |
熊野権現の「権現」というのは、「日本の神々は、仏の化身として現れたという「権現」である」という「本地垂迹」(ほんじすいじゃく)という考え方に基づいた名称といわれている。 熊野本宮本社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三つが「熊野三山」といわれ、この主祭神を祀ったのが「熊野三所権現」と呼ばれ、主祭神以外の神も祀られているのが「熊野十二所権現」と呼ばれているらしい。 |
かつて、祭で百貫石を持ち上げた力自慢の者がいたという。 重さ約28貫(112kg)。 |
1416年(応永23年)に起こった上杉禅秀の乱で、鎌倉公方だった足利持氏は、十二所から小坪、由比ヶ浜を通って佐助に逃走したと伝えられている。 佐助には関東管領上杉憲基邸があった。 |
瑞泉寺と北鎌倉の建長寺を結ぶハイキングコース。 途中から、十二所神社や明王院に下りる道もある。 |
「お塔の窪やぐら」への道 鎌倉アルプスの散策・・・前編 後編 天園から十二所神社への道(風早・権兵衛山・女男坂・番場ヶ谷) |
鎌倉市十二所285 鎌倉駅から金沢八景・大刀洗行バス 「十二所神社」下車徒歩1分 |
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