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興福寺の東金堂(とうこんどう)は、726年(神亀3年)、聖武天皇が叔母にあたる元正天皇の病気平癒を祈願して、薬師三尊を安置する堂として創建された。 中金堂(ちゅうこんどう)の東にある金堂。 創建当初は、緑色のタイルが敷かれ、薬師如来の浄瑠璃の世界が表されていたという。 本尊は薬師如来。 その後、度重なる焼失と再建を繰り返し、現在の建物は、1415年(応永22年)に再建されたもので国宝に指定されている。 |
文武天皇の第一皇子。 母は興福寺を創建した藤原不比等の長女宮子。 国分寺建立の詔を発し、国分寺の総本山東大寺には大仏を造立した。 |
本尊の薬師如来像(室町時代)は、1411年(応永18年)の焼失後の作。 脇侍の日光・月光菩薩像は、火災から救出されたもので奈良時代の作。 いずれも国の重要文化財に指定されている。 |
本尊の薬師如来に向かって左に安置されている維摩居士像(鎌倉時代)は、1196年(建久7年)に定慶によって彫られたもので国宝。 |
※ | 定慶は運慶の次男・康運の弟子といわれているが、康運が改名して定慶を名乗ったという説もある。 |
本尊の薬師如来に向かって右に安置されている文殊菩薩坐像(鎌倉時代)は、維摩居士像と同じく定慶によって彫られたものといわれ国宝。 |
※ | 鎌倉の常楽寺の阿弥陀三尊像・明王院の不動明王像は定慶の作ではないかと注目されている。 |
※ | 鎌倉彫刻屈指の優品・円応寺の初江王坐像を彫った幸有は、定慶の弟子筋という説も。 |
堂内の四隅に安置されている四天王立像は、平安時代前期の作風で国宝。 |
木造十二神将立像(鎌倉時代)は、1207年(建永2年)頃の作と伝えられ国宝。 |
かつて東金堂の前には、弘法大師が本尊の薬師如来に永代の花として捧げたという松の子孫が聳え、「花の松」と呼ばれていたという。 |
興福寺は、平城京遷都の710年(和銅3年)に創建された藤原氏の氏寺。 平安時代には南都七大寺に数えられ、古代・中世を通じて大和国を支配した。 |
奈良市登大路町48番地 JR奈良駅から市内循環バス「県庁前」下車すぐ。 近鉄奈良駅から徒歩5分。 |
興福寺は世界文化遺産 (古都奈良の文化財) |
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