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中 金 堂
奈良:興福寺

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興福寺中金堂


 興福寺の中金堂は、藤原鎌足発願の釈迦三尊像を安置するために、710年(和銅3年)の平城京遷都の直後から造営が開始されたものと考えられている。

 創建者は藤原不比等(鎌足の子)。

 本尊の丈六釈迦如来像を中心に薬王・薬上菩薩像、2躰の十一面観音像、四天王像、2組の弥勒浄土像が安置されていた。

 弥勒浄土像の古い方は、不比等の夫人橘三千代が、不比等の一周忌にあたる721(養老5年)に造像したものだといわれている。

 726年(神亀3年)に東金堂が、734年(天平6年)には西金堂が建てられことから中金堂と呼ばれるようになった。

 中金堂は創建後、6度の焼失と再建が繰り返されてきたが、1717年(享保2年)の焼失後は幕府からの助成もなく、興福寺の経済事情も逼迫していたため長く再建されず、1819年(文政2年)になってようやく再建されている。

 ただ、1819年(文政2年)に再建された中金堂は、篤志家の寄付によって仮の堂として建てられたため、長年の使用には不向きなものだった(用材は松材)。

 そのため、1974年(昭和49年)に旧薬師寺の金堂が講堂跡に移築され、仮金堂とされ、2000年(平成12年)に中金堂は解体された。

 その後、中金堂復興の事業が進められ、平城京遷都・興福寺創建から1300年経った2010年(平成22年)に立柱式が行われた。

 そして、2018年(平成30年)10月7日〜11日にかけて、301年ぶりに再建された中金堂落慶法要が営まれた。

 その規模は、東西36.6メートル、南北23メートル、高さ21.2メートルという巨大な建物。


興福寺仮金堂
仮金堂
(旧薬師寺金堂)





木造薬王・薬上菩薩立像

 釈迦三尊像というと文殊・普賢菩薩を従えているものが多いが、薬王・薬上菩薩を従えるのは古い形式で、飛鳥・奈良時代の三尊像によくみられる。

 薬王菩薩は薬で衆生の病を治したことで菩薩となり、薬上菩薩は薬王菩薩の弟で、兄に従って衆生を救う菩薩。

 胎内墨書から、1202年(建仁2年)の造立であることが判明している。



木造四天王立像

 仮金堂に安置されている木造四天王立像(鎌倉時代)は、もとは南円堂に安置されていた像だという。

 1189年(文治5年)、仏師康慶とその弟子によって造立されたもの(重要文化財)。

 ※康慶は運慶の父。








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興福寺
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 興福寺は、平城京遷都の710年(和銅3年)に創建された藤原氏の氏寺。
 平安時代には南都七大寺に数えられ、古代・中世を通じて大和国を支配した。


奈良市登大路町48番地

JR奈良駅から市内循環バス「県庁前」下車すぐ。
近鉄奈良駅から徒歩5分。

世界 興福寺は世界文化遺産
(古都奈良の文化財)



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