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閑院は、平安初期に藤原冬嗣が邸宅としたことに始まる。 平安中期には藤原兼通が所有。 兼通の子・朝光は、堀河殿で暮らしていた円融院と閑院に咲く桜をめぐって和歌のやり取りをしたのだという。 兼通の弟・公季が伝領してから「閑院」と称された。 平安後期には、高倉天皇が荒廃していた内裏に代わる里内裏として使用し、後鳥羽天皇は閑院で皇位を承継した。 その後、後深草天皇に至るまで里内裏として使用されたが、1259年(正元元年)に焼失した。 |
堀河院跡 |
東三条殿跡 |
堀河院(堀河殿)は、藤原基経の邸宅が始まりで、円融天皇・白河天皇・堀河天皇・鳥羽天皇の里内裏となった邸宅。 東三条殿は、摂関家の邸宅。 藤原詮子は、東三条殿で懐仁親王(一条天皇)を産んでいる。 |
藤原兼通と藤原兼家~兄兼通に左遷された弟兼家~ |
西福寺は、閑院跡に建立された真宗大谷派の寺院。 |
西福寺の山門脇には、「豊臣秀吉妙顕寺城跡」の碑が建てられている。 妙顕寺は、鎌倉後期、閑院跡に日像が建立した京都で初めての日蓮宗寺院。 1583年(天正11年)、豊臣秀吉は妙顕寺を小川寺ノ内に移転させて二条新邸を築き、聚楽第が完成するまでの京都の政庁とした。 その後、慶長年間に西福寺が建立されている。 |
二条城は、破却された聚楽第の南部に徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として築城。 |
京都市中京区押小路通小川西入古城町 |
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