鎌倉大仏造立の勧進僧浄光の菩提を弔う阿弥陀如来像 |
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※ | 画像は鎌倉文化交流館のパネルより。 |
千葉県市原市の満光院旧蔵。 鎌倉大仏造営の勧進を行った浄光の菩提を弔うために、鎌倉新大仏の僧侶が造立した善光寺如来。 像の背後には、文永11年(1274年)の刻銘がある。 『東関紀行』によると、浄光は遠江の人。 『鎌倉大仏縁起』によると、平重衡の南都焼討で灰燼に帰した東大寺を再興させた重源の高弟だったのだという。 |
善光寺如来冶鋳志 善光寺如来冶鋳志有為浄光上人并二親 養父母及阿忍二親□□等出離生死頓證 菩提乃至法界平等利益冶鋳如件、 文永十一年甲戌三月十七日 相模国鎌倉新大仏住侶寛□敬白 |
鎌倉大仏造立を発起したという源頼朝の侍女・稲多野局の伝説 丹治久友〜鎌倉大仏鋳造に携わった鋳物師と銅鐘〜 |
鎌倉大仏は、中国の宋朝様式の中にも日本風の意匠が認められる傑作。 昭和33年2月8日、国宝に指定されている。 |
鎌倉市長谷4−2−28 0467(22)0703 江ノ電「長谷駅」から徒歩10分 |
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