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丹治久友(たんじひさとも)は、河内国の鋳物師(いもじ)。 河内国の鋳物師は、1180年(治承4年)に平重衡の南都焼討で焼失した東大寺の復興にも参加。 中国宋の工人・陳和卿の下で大仏鋳造に携わった。 その技術を受け継いだ久友は、鎌倉大仏・川越の養寿院の銅鐘・東大寺真言院の銅鐘・吉野山の蔵王堂の銅鐘の鋳造に携わった。 |
※ | 銅鐘、銅鐘拓本の画像は、鎌倉文化交流館のパネルより。 |
養寿院の銅鐘は、1260年(文応元年)に河越経重が新日吉山王宮(現在の上戸日枝神社)に寄進したもの。 |
武蔵国河肥庄 新日吉山王宮 奉鋳椎鐘一口長三尺五寸 大檀那平朝臣経重 大勧進阿闍梨円慶 文応元年大歳庚申十一月廿二日 鋳師丹治久友 大江真重 |
東大寺の真言院は、822年(弘仁13年)に弘法大師が創建。 1180年(治承4年)、平重衡の南都焼討で焼失し、1254年(建長6年)から21年の歳月をかけて再建された。 銅鐘は、再建中の1264年(文永元年)4月5日に鋳造されている。 |
東大寺真言院者弘法大師之聖跡 密教伝持之霊地也而建立後送 春秋?廃依頼渉星霜爰依高祖之 冥助以太神之加護忽遂中興之 願再祐上乗之霊場剰励一身微力 瑩鋳九父洪鐘願三有驚虚夢六趣 感妙声于時文永元年甲子卯月五日 鋳物師新大仏寺大工丹治久友 |
吉野山の蔵王堂(金峯山寺)には、1264年(文永元年)8月2日に鋳造された銅鐘があった。 |
敬白 奉鋳鐘一口 大日本国大和国吉野郡 金峯山下山蔵王堂 文永元年甲子八月二日鋳之 大工鎌倉新大仏鋳物師丹治久友 広階友国 藤原行恒 勧進聖河内国住人僧実円 |
1260年(文応元年)の養寿院銅鐘の肩書きは「鋳師丹治久友」。 1264年(文永元年)の東大寺真言院銅鐘の肩書きは「鋳物師新大仏寺大工丹治久友」。 同年の蔵王堂銅鐘の肩書きは「大工鎌倉新大仏鋳物師丹治久友」。 これらの肩書きからすると、鎌倉大仏が完成したのは1260年(文応元年)から1264年(文永元年)の間と推測できる。 |
鎌倉大仏は、中国の宋朝様式の中にも日本風の意匠が認められる傑作。 昭和33年2月8日、国宝に指定されている。 |
鎌倉市長谷4−2−28 0467(22)0703 江ノ電「長谷駅」から徒歩10分 |
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