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妙本寺の総門は、1923年(大正12年)の関東大震災で倒壊したものを、1925年(大正14年)に再興したもの。 |
妙本寺のある比企ヶ谷は、源頼朝が乳母の比企尼を迎え入れた場所。 尼の甥で養子となった比企能員の屋敷もあったが、比企氏の乱(比企能員の変)で滅亡した。 |
総門前の石塔は、祖師堂前にあったもので1785年(天明5年)に現在の場所に移転された。 |
右側側面に彫られている文字。 上行は、釈迦?が法華経を説いたとき、末法の世に出て法華経を広めるように依頼した四人の菩薩の一人。 鎌倉で法華経の教えを説いた日蓮は、自分を上行菩薩の後身と称していた。 權輿は物事の始まりという意味。 つまり「宗門最初の寺院」という意味なのだとか。 |
左側面に彫られている文字。 比企能基(能本)は、比企氏の乱(比企能員の変)で滅んだ能員の末子。 妙本寺は能本が能員らの菩提を弔うために建てた法華堂を前身としている。 |
すぐ後ろの七角形の建物は、企谷幼稚園として使用されている大円坊。 |
妙本寺は、源頼朝の御家人比企能員の邸跡に能員の末子能本が建てた寺。 この地で有力御家人比企氏が滅亡し、二代将軍源頼家の嫡子一幡が焼け死んだ(参考:比企氏の乱)。 |
鎌倉市大町1−15−1 0467(22)0777 鎌倉駅東口から徒歩8分 |
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