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報国寺の「竹の庭」を見下ろすように掘られた「やぐら」は、開基足利家時と「永享の乱」の折に自刃した足利義久らの墓と伝えられている。 足利家時は、八幡太郎義家から七代目の子孫。 足利家には、先祖義家の「自分は七代の子孫に生まれ変わって天下を取る」という置文が伝わっていた。 しかし、自分の代で天下を取ることが叶わなかった家時は、「三代後の子孫に天下を取らせよ」と祈願し、その旨の置文をのこして割腹したと伝えられている。 その三代後の子孫が、のちに鎌倉幕府を滅亡させ室町幕府を開いた足利尊氏。 足利家時は報国寺の開基とされているが、1284年(弘安7年)に亡くなっていると伝えられていることから、上杉重兼ではないかといわれている。 上杉家は、初代上杉重房の頃より足利家と姻戚関係にあり、家時は重房の孫、尊氏は重房の孫娘清子の子という関係にあった(参考:木造上杉重房坐像)。 |
1438年(永享10年)、四代鎌倉公方の足利持氏は、六代将軍足利義教に対して反乱を起こし、1439年(永享11年)2月10日、永安寺で自害させられた(永享の乱)。 当時10歳だった持氏の嫡子義久も報国寺で自刃している。 |
春王と安王は、義久の弟。 永享の乱後、下野国の日光山に潜んでいたが、1440年(永享12年)、結城氏朝に担ぎ出された結城合戦で捕らえられ、京都に送られる途中の関ヶ原で処刑されている。 |
報国寺は臨済宗建長寺派。 足利氏ゆかりの寺院で、孟宗の竹林で知られ「竹の寺」と呼ばれている |
鎌倉市浄明寺2−7−4 0467(22)0762 鎌倉駅から金沢八景・大刀洗行・ハイランド循環バス 「浄明寺」下車徒歩3分 |
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