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2024年(令和6年)の逗子海岸流鏑馬は予定されていないようです。 |
逗子海岸では毎年11月中旬に武田流の流鏑馬が奉納されます。 『吾妻鏡』には、1200年(正治2年)9月2日、源頼家が小坪で「笠懸」を行ったとの記録があり、その場所が逗子海岸ではなかったかと考えられているそうです。 また、逗子海岸では、終戦後、逗子なぎさホテルに進駐していた米軍に流鏑馬騎射を披露したことをきっかけに、1948年(昭和23年)、1949年(昭和24年)に日米親善流鏑馬騎射会が行われたといいます。 このような歴史がある中、逗子海岸の流鏑馬は1992年(平成4年)から行われています。 当日は、亀岡八幡宮から出発する子ども武者行列や子ども武者による弓引きの儀も楽しむことができます。 |
2024年の開催は 11月?日(日) 予定なし |
11:00 子ども武者行列出陣 (亀岡八幡宮) 11:15 子ども武者弓引き (逗子銀座商店街) 12:30 逗子開成学園和太鼓演奏 (逗子海岸) |
【流鏑馬】(逗子海岸) 13:00 天長地久の式 13:10 馬場入り 13:30 騎射開始 14:40 凱陣の式 |
前売り3,000円 当日3,500円 |
板的1,000円 土器的500円 |
騎射に先だって行われる「天長地久の式」は「天下泰平、五穀豊穣、国民安堵」を祈念する儀式。 |
『吾妻鏡』によると、1200年(正治2年)9月2日、源頼家は小坪を散策した際、「笠懸」を行った。 射手は結城朝光・小笠原長清・海野幸氏・市川義胤・和田常盛など。 その後、海上で酒宴が催され、朝比奈義秀は頼家に命じられ水泳の技を披露し、三匹の鮫を捕まえた。 頼家が義秀への褒美に、この日乗ってきた奥州の名馬を与えようとすると、以前よりその馬を欲しがっていた義秀の兄和田常盛が「相撲の勝者に与えるのはどうか」と提案し、浜で相撲勝負が行われた。 義秀が優位となったところで、遺恨が残らないようにと北条義時が勝負を預かりにするが、常盛は裸のまま名馬にまたがり逐電してしまったという。 |
「笠懸」とは、流鏑馬と同じく疾走する馬上から的を射る武芸。 その名称は、源頼朝が群馬県新田郡笠懸町(現みどり市)で行ったことに由来するという。 源頼家が催した小坪での「笠懸」で射手を務めた小笠原長清、海野幸氏は、武田信光、望月重隆とともに「弓馬四天王」と称された。 |
※ | 朝比奈義秀と和田常盛は、侍所別当和田義盛の子。 |
武田流流鏑馬は、弓馬四天王の一人武田信光を祖とする安芸武田氏に伝えられ、その後、若狭武田氏、細川家、竹原家と継承されてきた。 4月に行われる「鎌倉まつり」では、その最終日に鶴岡八幡宮で奉納される。 |
動画・板小的 動画・土器三寸の的 |
JR横須賀線逗子駅・ 京浜急行電鉄新逗子駅より徒歩10分 |
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鶴岡八幡宮例大祭で奉納される流鏑馬は、1187年(文治3年)8月15日、源頼朝が放生会を催した際に奉納したのがその起源だという。 |
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