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垣ほ荒れ さびしさまさる とこなつに 露おきそはむ 秋までは見じ |
「垣が荒れて寂しそうな常夏。露がくわわる秋までは見ることはできない・・・」 紫式部と藤原宣孝の結婚は、宣孝が紫式部のところに訪れて数日間を暮らす「通い婚」。 宣孝が他の女のところに通うようになってしまい、紫式部のところに来なくなってしまったことの「嘆きの歌」といわれる。 ただ、宣孝が亡くなった後の紫式部邸の寂しさを詠んだものとする説もある。 この歌は、6月ころに、常夏(とこなつ)と呼ばれていていた撫子(なでしこ)が咲いているのを見て詠まれたもの。 常夏(撫子)は、娘の賢子を比喩したものと考えられている。 |
紫式部の歌~藤原宣孝亡き後に患ったときの歌~ |
廬山寺は、藤原宣孝が通っていた紫式部の邸跡に建てられている寺。 紫式部のところへ通わなくなった宣孝は、言い訳の手紙を出しているらしい。 |
紫式部の歌~藤原宣孝に飽きられた紫式部の悲しみの歌~ 紫式部の歌~夫婦仲に秋風が立ち、天の川の逢瀬を羨む~ 紫式部の歌~浮気する藤原宣孝への反発の歌~ 通い婚・妻問婚と藤原道長と紫式部 |
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