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ありし世は 夢に見なして 涙さへ とまらぬ宿ぞ 悲しかりける |
「帝がおいでになった時代が夢だったと思うと涙がとまらない。 思い出のある御所に留まることを許されず、遷らなければならないのは悲しいことです」 この歌は、一条天皇の崩御後、藤原彰子が一条院から枇杷殿に遷御するときに詠んだ歌。 |
1011年(寛弘8年)6月22日、一条天皇は仮の御所としていた一条院で崩御。 |
一条天皇が崩御した後、中宮藤原彰子は枇杷殿に移り、翌年、皇太后となっている。 皇太后となった彰子のもとには、藤原道長の批判者だった藤原実資がたびたび伺候していたのだという。 その取次役が紫式部だった。 |
紫式部は、1014年(長和3年)正月、皇太后藤原彰子の病気快復を願って清水寺を参っている。 この頃には彰子付の女房を退いていたという説がある。 また、藤原実資を彰子に取り次いだことで藤原道長から宮中を追放されていたという説も。 |
藤原彰子と藤原実資を取次役を務めた紫式部 |
紫式部の歌~清水寺で出会った伊勢大輔との贈答歌(伊勢大輔集)~ |
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