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| 唐衣 花のたもとに ぬぎかへよ 我こそ春の 色はたちつれ | 
| 「私が贈った夏の衣裳に着替えなさい。 私は春の色の衣を着るのはやめてしまったけれど」 1019年(寛仁3年)3月21日に出家した藤原道長が、上東門院彰子に衣更えのための衣裳を贈った時に詠んだという歌。 平安時代は4月1日に夏装束に、10月1日から冬装束に改めたのだという。 | 
| 唐衣 たちかはりぬる 春の世に いかでか花の 色も見るべき | 
| 「すっかり世の中が変わってしまった春に、どうして花の色を楽しめましょうか」 彰子の返歌。 道長が出家したことの「もの寂しさ」を詠んだ歌。 | 
| 脱ぎかへん ことぞ悲しき 春の色を 君がたちける 衣と思へば | 
| 「君(道長)がお断ちになった春の衣に脱ぎ替えるのが悲しくてなりません」 道長の歌の事を聞いて、和泉式部が彰子に贈った歌。 『栄花物語』では彰子に贈ったとされるが、『和泉式部集』では女房筆頭の大宮の宣旨(源陟子)に贈ったことになっている。 | 
| たちかふる 憂き世の中は 夏衣 袖に涙も とまらざりけり | 
| 「すっかり変わってしまったこの世の中を思うと、着替えたばかりの夏衣の袖に落ちる涙が止まりません」 和泉式部の歌に対する大宮の宣旨からの返歌。 | 
|  藤原道長の出家と最期 | 
| 道長の出家に関わる歌の贈答に紫式部が登場しないが・・・ 紫式部は1014年(長和3年)頃に彰子付の女房を退いたという説があり、この年に亡くなったという説もある。 | 
 紫式部の墓
紫式部の墓| 紫式部の没年は不明だが、その晩年は生まれ育った紫野の雲林院百毫院で過ごしたのだという。 紫野には紫式部の墓がある。 | 
|  紫式部の没年と源氏物語~准太上天皇となった光源氏と敦明親王~ | 


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