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源陟子(みなもとのただこ)は、一条天皇の中宮・藤原彰子に仕え、宮の宣旨と呼ばれていた女官。 醍醐天皇の孫・源伊陟の娘。 宣旨・御匣殿・内侍は女房三役といわれ、宣旨はその筆頭。 一条天皇の第三皇子・敦良親王(後朱雀天皇)の乳母だったともいわれるが定かではない(彰子の乳母だったという説もある。)。 教養が高く歌にも優れ、和泉式部が彰子に贈った歌に対する返歌を詠んだのだという。 また、紫式部に称えられるほどの美貌で、『紫式部日記』によると・・・ 小柄でほっそりとして、髪の毛筋は整って美しく、気品あがあったのだとか。 藤原公任の長男・定頼は陟子に言い寄って振られているらしい。 |
1019年(寛仁3年)3月、藤原道長が出家。 道長は、4月1日に彰子らに衣更えのための衣裳を贈っている。 その時の彰子と交わしたのが「唐衣の歌」。 道長の歌を聞いた和泉式部も彰子に歌を贈っているが、その返歌を詠んだのが陟子らしい。 |
藤原道長の歌~出家した道長と彰子と和泉式部の歌~ |
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