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藤原実成(ふじわらのさねなり)は、太政大臣・藤原公季の長男。 母は有明親王の王女。 975年(天延3年)誕生。 996年(長徳2年)、長徳の変で藤原伊周が失脚し、父の公季が藤原道長政権下で内大臣に就任すると、実成も順調に昇進。 1007年(寛弘4年)、一条天皇の中宮・藤原彰子の中宮権亮となり、 翌年、彰子が第二皇子の敦成親王(のちの後一条天皇)を出産すると特別昇進(従三位)して公卿に列した。 その後、1023年(治安3年)に中納言、翌年には正二位に昇進し、1033年(長元6年)には大宰権帥を兼任。 郎等の源致親が大宰府天満宮内にあった安楽寺の雑物を盗んだことで、1038年(長暦2年)に中納言兼大宰権帥を解任されて除名されたが、翌年、正二位に復している。 1045年(寛徳元年)12月22日、薨去(享年71)。 |
五節の舞姫~新嘗祭・大嘗祭で舞った舞姫と貴族~ |
渡殿にある紫式部の局に立ち寄る斉信と実成 (越前市・紫きぶ七橋) |
1008年(寛弘5年)10月17日夜、実成は藤原斉信とともに特別昇進した御礼を中宮・藤原彰子に申し上げるための取次ぎを求めて、宮の内侍(橘良芸子)と紫式部を訪ねる。 |
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