|
満江御前は、仇討ちで知られる曽我十郎祐成と五郎時致兄弟の母。 狩野(工藤)親光の娘で、源仲成に嫁ぐが離別。 その後、伊東祐親の嫡男河津祐泰と再婚して三人の男子を産んだ。 子の名は、十郎祐成(一万)・五郎時致(箱王)、そして末弟が祐泰の死後生まれた実英。 河津祐泰は、1176年(安元2年)、領地問題のもつれから工藤祐経に殺害された。 満江御前は、伊東祐親のすすめで曽我祐信と再婚し、のちに仇討ちを決行する十郎祐成と五郎時致も曽我家で成長している。 1195年(建久6年)に出家。 曽我別所に大御堂を建て、兄弟の菩提を弔ってきたが、1199年(正治元年)5月28日に没した。 墓は、曽我別所・法蓮寺の裏山墓地にある。 |
1193年(建久4年)、十郎祐成と五郎時致は、源頼朝が催した富士裾野の巻狩りの際に仇討ちを決行し、見事に工藤祐経を討ち取った。 「曽我兄弟の仇討ち」として知られている。 満江御前が亡くなった5月28日は、兄弟が仇討ちを決行した日。 兄弟の菩提所城前寺には、兄弟の五輪塔とともに曽我祐信と満江御前の五輪塔が建てられている。 |
報復の連鎖〜曽我兄弟の仇討ち〜(okadoのブログ) |
曽我五郎時致の恋物語〜仮粧坂〜 曽我兄弟の仇討ち・・・ 北条時政という武将 富士裾野の巻狩と曾我兄弟の仇討ち・・・ |
城前寺は曽我城があった場所に建てられた寺。 1193年(建久4年)、父の仇を見事に討った曽我兄弟は、母の再婚相手であった曽我祐信のもとで成長した。 |
大きい地図を見るには・・・ 右上のフルスクリーンをクリック。 |
|