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蛇窪神社(へびくぼじんじゃ)は、1323年(元亨3年)頃の創建といわれ、鎌倉幕府で連署を務めた北条重時の五男・時千代とその家臣の伝説が残された神社。 伝説によると・・・ 1271年(文永8年)、時千代は重時に蛇窪の地の開拓を命じられ、家臣とともに蛇窪に住んだのだという。 その後、時千代は仏門に入り法圓を称し、大森に厳正寺を開山。 50年が経った1322年(元亨2年)、武蔵国が大干ばつに襲われた際、厳正寺の法密(法圓の甥)が雨乞いの祈祷を行って雨を降らせた。 そのことを知った時千代の旧臣たちは蛇窪にも神社を建てることにしたのだとか。 通称は蛇窪神社だが正式名称は天祖神社(てんそじんじゃ)。 |
天照大御神 (あまてらすおおみかみ) 天児屋根命 (あめのこやねのみこと) 応神天皇 (おおじんてんのう) |
蛇窪神社の『白蛇縁起』によると、蛇窪神社が創建された頃は、清水の湧き出る洗い場に白蛇が棲んでいたのだという。 いつしか洗い場がなくなり、白蛇は現在の戸越公園の池に移ってしまうが・・・ ある時、土地の有力者の夢枕に白蛇が現われ、「早くもとの地に帰りたい」と告げたのだとか。 そこで、安芸宮島の厳島神社の分霊を迎えて建立されたのが白蛇辨財天社なのだという。 |
御鎮座七百年を記念して建立。 蛇窪龍神社は、蛇窪神社創建前からあったのだという。 |
1322年(元亨2年)の大干ばつの際に雨乞いの祈祷をした法密が、京都の伏見稲荷大社の分霊を祀ったのだという。 |
北条重時は、鎌倉幕府執権政治の基礎を築いた北条義時の三男。 兄の泰時が執権のときに六波羅探題北方を務め、五代執権北条時頼の時には連署を務めた。 蛇窪神社の由緒によると、1271年(文永8年)に蛇窪の開拓を五男の時千代に命じたということだが、その10年前の1261年(弘長元年)に死去。 また、重時の五男は、七代執権を務め、八代執権北条時宗のときに連署を務めた政村。 一説によると、蛇窪神社を建立したのは、この地の豪農・森屋氏の先祖ともいわれている。 |
鎌倉の極楽寺は、北条重時が創建した寺院。 重時の子孫は極楽寺流と呼ばれた。 |
東京都品川区二葉4−4−12 東急大井町線・都営地下鉄浅草線・中延駅より徒歩5分 横須賀線・西大井駅より徒歩8分 |
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