鎌倉手帳(寺社散策)

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網 戸 神 社
〜小山市:網戸城跡〜


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網戸神社


 網戸神社(あじとじんじゃ)は、結城朝光の五男網戸朝村が築いた網戸城跡に鎮座する社。

 創建年は不明だが、社殿が806年(大同元年)に再建されていることから、それ以前からの古社とされている。

 939年(天慶2年)、平将門の追討に際して戦勝祈願した藤原秀郷は、将門を討ち取った後、金百貫文を奉納したのだという。

 また、源頼朝は、1187年(文治3年)に乳母の寒川尼(寒河尼)を網戸郷の地頭職に任じた際、社領を寄進しているのだという。

 寒川尼は小山政光の後妻で、結城朝光の母。


『吾妻鏡』では、「寒川尼」は「寒河尼」と記されている。


祭神
田心姫命
(たごりひめのみこと)
藤原一族の祖神
天児屋根命。
(あめのこやねのみこと)


網戸神社





〜弓矢の達人:結城(網戸)朝村〜

 『吾妻鏡』によると・・・

 1238年(嘉禎4年)5月16日、 四代将軍九条頼経が兄の二条良実の屋敷を訪れた時のこと。

 宴会の最中に、良実の子福王が飼っていた鳩が籠から逃げ、庭先の木の梢にとまった。

 捕まえる手立てのない福王は、頼経に弓の名人に捕まえてもらうよう頼むと、頼経は結城朝村を呼びつけ、鳩を殺さずに捕らえるよう命じた。

  庭に出た朝村が蟇目の柱を小刀で取り除いた矢を放つと、鏑矢の中に入った鳩が落ちてきたのだという。

 鳩を籠の中に戻すと尾羽を動かしてさえずり鳴いていたのだとか。

 朝村の弓矢の芸に感じ入った頼経は、5月20日、前右大臣の西園寺実氏の家に仕えるよう命じている。

 1243年(寛元元年)8月16日には、鶴岡八幡宮放生会で奉納された流鏑馬の射手に選ばれている。 



寒川尼の墓
リンクボタン寒川尼の墓

 網戸神社の入口には寒川尼の墓がある。

 傍らには網戸朝村の墓も。








歴史めぐり源頼朝




網戸神社
網戸神社

小山市大字網戸2025



小山政光・結城朝光
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